源頼朝の墓石の前で思うこと

源頼朝のお墓の前で思う

源頼朝は1180年平家打倒のため挙兵、鎌倉を本拠として1185年鎌倉幕府を大蔵に開いて武家政治を基礎を築きました。 1199年53歳で没すると、自身の持仏堂であった法華堂に葬られ法華堂が頼朝の墓所として厚く信仰されました。 法華堂は後に廃絶しましたが、この丘の上一帯がその跡です。
[頼朝の墓/立て看板]
現在建っている塔は後に島津藩主・島津重豪が整備したものです。
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舞殿
頼朝知れば知るほど幸運な人である。
平治の乱で父・義朝、兄二人を殺されるも、捕まえられ清盛の母、池ノ禅尼助けられ 伊豆の蛭が小島に配流の命拾い。
北条時政、政子との出会いでは、時政の洞察力と先見の明、女傑政子の内助の功に権力基盤の大きな支えとなり、 弟、義経の奇跡的な連戦連勝の勝利「一の谷」「屋島」「壇ノ浦」により平家を倒す。 その間、1181年には平清盛が亡くなる運の強さ。
勿論、鎌倉幕府を創立、武家政権を確立した、運だけではない彼の政治家としての力量は歴史が認めるところでしょう。
なのに、この頼朝の墓はどうだろう。この時代着飾るような墓はないようだが、 質素な本当に天下人のなのだろうかと正直思う。。
幼名「鬼武者」と名づけられた頼朝はその名の通り 冷酷、無慈悲な鬼のような男と見られ、それは人気のなさの証しなのかナ、、、
そういえば、わが町のレンタルビデオ屋さん、NHKの大河ドラマ義経はあるが、 源頼朝はないわな。。。
源頼朝の墓の前で思う [奥州番外編] -弟義経が自刃した平泉から東に10km-
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